レポート

参加者レポート < ミャンマー >

糸満高校2年神谷 百恵がミャンマーへ訪れ考えた、今取り組むべき二つのこと。

投稿者: oicYOUTHs 管理者

私の中で生き続ける出会いとともに

 

沖縄県立糸満高等学校 二年  神谷百恵


 のんびり。なんだか羨ましい。テレビ番組で芸能人が発展途上国の家に宿泊しているのを見て、そう思った。同時に、洋服や家が汚れているうえに生活に余裕があるように見えない。だけど、貧しさの中に家族団欒の癒しや沢山の笑顔、別れの時に流す涙を見た。私はいつしか、便利な生活だけが全てではない事を感じさせる発展途上国の空間に憧れを抱いていた。

 

 今年の夏、私は国際協力人材育成レポーターとしてミャンマーを訪れた。空港でまず目にしたのは入国審査の隣で昼食をとる職員、カートに乗りながらカートを片付ける職員だった。始めはそれでいいのかと驚いたが、日本では決して見ることのないシーンに、人々の自由で気ままなゆっくりとした時の流れを感じた。心のどこかで「思い描いていた通りだ」と自然と笑みがこぼれた。

 

 この研修期間に、福祉の面で日本との違いについて学ぶため、老人ホームを訪問した。正直、想像を絶するほど汚かった。老人ホームにいたのは、介護の手が無いお年寄り、親に捨てられた幼い子供だった。施設数180人に対して住居人数3700人という切羽詰まる中、与えられた僅かなスペースに座る彼らの中に笑顔は無かった。ここ9年間で1200人が亡くなったという。その話を現場で聞き、現場の匂いを感じ、この様な場所で生きる人たちがいる現実を自分の目で見て、彼らに流れる時間がとても重いものに感じた。この様な現状が私の生きる同じ地球に存在し、知らずに生きていることをとても恥ずかしく思った。そこで見た光景は一生忘れないと思う。

 

 危険、貧困、かわいそう、そんなネガティブな言葉は発展途上国のイメージに、どうしてもつきまとってしまう。私はそのイメージだけが発展途上国の全てではないことを学んだ。それは日本が発展途上国に対して支援するだけではなく、資源のない日本にとって発展途上国からの資源の輸入が国の繁栄を支えるということだ。沢山の視察先で研修を終え、自分の中で考え方、捉え方の視野が確実に広がっているのを感じた。その中で自分のすべき事を2つ見つけることが出来た。

 

 まず1つ目は、発展途上国による恩恵について多くの人に理解してもらう事だ。その為には、レポーターの役目として見て感じたことを、リアルな自分の言葉で発信していくことが大事だと考える。身の回りに在る無数の物資が発展途上国の資源から存在し、その恩恵に感謝している日本人は少ないだろう。発展途上国が、日本と無関係ではなく、生きていくためには、協力して取り組む必要であることを発信したい。

 

 次に2つ目は将来の夢に向けて日々の勉強や部活を懸命に取り組む事だ。現在、多くの先進国が発展途上国に支援を行っている。けれども、その救い手が助けを求めようとする全ての人に届くとは限らず、救い手の届かない人々をこの研修を通して何度も見た。病気を患っても簡単に病院に行けない理由は社会保障制度が整っていないという背景があると学んだ。私は将来、医療や福祉の道に進もうと考えている。日々の勉強で学んだことを活かし、支援の届かない人達と繫がり、生きる希望を与えられる大人になりたい。

 私の住む日本は様々な物資で溢れ、豊かといえる衣食住が当たり前にある。当たり前と思っている些細なことを、とても尊い事であると胸に刻み、日々の暮らしを大切に過ごしていこうと思う。

 

 様々な視察先で、育まれた沢山の温かい思い出と沢山の知識や経験を与えてくれた、ミャンマーという国が本当に大好きになった。そのミャンマーで触れた沢山の温かさや、貴重な経験に感謝している。私の中で生き続ける出会いとともに。

 

ミャンマーで沖縄尚学高校1年下地 実香子の将来の夢が固まった!

投稿者: oicYOUTHs 管理者

ミャンマーで学んだこと

 

    沖縄尚学高等学校 一年 下地 実香子

 

私の将来の夢は薬剤師になり、海外で活躍することです。海外といっても、先進国ではなく、医療技術などがまだ発達してない国でその国の発展に貢献したいと考えています。自分の夢を叶える上で、日本がどのような形で国際協力を行っているのかということに興味があり、今回、おきなわ国際協力人材育成事業に参加しました。

 

はじめての発展途上国で、ミャンマーという国名を聞いた時はあまり聞き慣れない国で不安な気持ちでしたが、同時に楽しみに思う気持ちもありました。ミャンマーに対してのイメージは、発展途上な国ということもあり、道にゴミなどが散乱していたり、人間性に関しては日本人のようには優しくないのではと思っていたりしました。七月三十一日に約五時間かけてミャンマーに到着しました。外に出てみると、とても暑くて、気候は沖縄に似ていると感じました。最も印象に残っているのは、初日に訪問したタバワ老人ホームです。そこでは、約三千七百人もの人々が生活していました。老人ホームと言っても、高齢者だけでなく、若い世代や幼い子どももおり、日本とは全く違うと感じました。ホームには、歯科や眼科、レントゲン室などの設備があり、医療面においては充実しています。しかし、薄暗い大部屋にマットレスを敷き、一日中横になっている人たちを見て、この人たちは幸せなのだろうかと思いました。改善したくても、莫大な費用がかかってしまうため、簡単にはできないという現状を知り、初日から、なんだか悲しい気持ちになり、どうすればこのような状況を変えることができるのかと思いました。

 

研修六日目、ホームビジットをするためにヤンゴンからマンダレーという都市へ移動しました。ホストファミリーがウッペイ橋に連れて行ってくれた時、物乞いをする人をたくさん見かけました。私たちのホストファミリーは非常に裕福な家庭で、それまでに目にした人々の暮らしとはかけ離れた生活でした。同じ国でも、こんなに貧富の差があることに驚きました。私たちはホストファミリーに日本のことを紹介するため、肉じゃがを作りました。美味しいと言いながら食べる姿を見て、日本料理を受け入れてくれているのだなと嬉しい気持ちになりました。

 

今回の研修を通して、私は、国際協力の大切さを学びました。研修前までは、国際協力とは、知識や技術を提供しているに過ぎないと思っていました。しかし、多くの関係者の話を聞き、国際協力とは人と人との繋がりを築くことであり、支援することで日本も助けてもらっているんだと気づくことが出来ました。言葉は通じませんでしたが、ミャンマーの人たちは私たちに積極的に話しかけてくれたり、優しく接してくれたり、ミャンマーに対してのイメージも大きく変わりました。私は薬剤師になり医療支援がしたい、と改めて思いました。今回、経験したこと、学んだことを家族や学校の友人に伝え、将来の夢を実現するため努力していきます。そして、沖縄・日本と開発途上国との架け橋になる人材になりたいと思います。

 

「世界中の人間に共通する幸せとは何か。」OIC事業を体験した宮古高校 親泊千明の答えとは。

投稿者: oicYOUTHs 管理者

ARE YOU  HAPPY?

      宮古高校 一年 親泊 千明

 世界中の人間に共通する幸せとは何か。私は「生命エネルギーが溢れ、情熱を持ってやりがいのあることを続けること」だと思う。

この考えは「沖縄国際協力人材育成事業国際レポーター」に参加した体験から生まれたものだ。

私はこれまで幸せについて真剣に考えたことがなかった。幸せというと、楽しいとか充実しているという感覚だと思っていた。しかし今回の研修で出会ったミャンマーの方々の姿から、「幸せとは何か」と自問自答するようになり、答えを探した。そのヒントになった体験が今回の研修で三つあった。

 一つ目は研修初日に訪問した老人ホームで、幸せとは思えない光景を見た時の事。ひとりたたみ一畳程のスペースで生活している人々。うつろな目をしていてあまり元気がなく、何もすることなく、ただ生きているだけなのかな、と感じてしまった。衣食住が満たされているだけでは人間は幸せとはいえないと考えた。

 二つ目はワッチェ慈善病院を訪問し、看護師として働いている日本人スタッフの仕事について学んだときの事。医療機器や器具が乏しく、カーゼ作り等の雑用も多い。さらに医師や薬剤師が少ないために、看護師が外科処置や薬の配合まで行っていた。日本ではありえないことだ。このように多忙で責任が重い仕事をしていたにも関わらず、現場で働いている日本人スタッフ顔は、生き生きとしていてとても輝いていた。そして「私は一生懸命に今を生きています。」という自信に満ち溢れていた。きっと自分ができる事を見つけ、全力で取り組んでいるのだと感じた。その姿はエネルギーに満ちていた。「この人達は幸せだ」と、その姿に感激した私は、自分もこういう高尚な人に、全力で自分がやりたいことをする人になろうと決意した。

 三つ目の体験は、ミャンマーの子ども達と本気で遊んだこと。小学校を訪れた時に会った子ども達は、エネルギーに満ち溢れていると感じた。授業中の発表ではお腹の底から声を出したり、友達同士楽しそうに笑っていたりした。一緒にいる私も小学生だった頃のように子ども達と全力で遊んだ。楽しくて力が漲るのを感じた。日本の子ども達は、こんなに無邪気に元気いっぱいで遊ぶだろうか、と思った。

私は小さい頃から自然が大好きだ。両親がいろいろな自然体験をさせてくれたおかげだ。小学六年生の頃から、宮古島で貴重な山林で散策を始め、生き物観察や外来種であるインドクジャクの調査をした。また気持ちが焦ったり落ち込んだりした時には山林を訪れ、気分転換をした。中学生になり、このような宮古島の自然の魅力を多くの人に知ってもらい、散策の仲間を増やしたいと考えるようになった。

昨年、思い切って友人と自然散策ガイドに挑戦した。三十名の親子が参加してくれた。散策を終えた子ども達は、大はしゃぎをして伸び伸びとした表情だった。それを見て、人間は自然と触れ合うことでエネルギーが高まる、と確信した。そうしてこれからも自然散策ガイドを継続することに決めた。

今年、私が所属する宮古自然クラブは、宮古島の自然環境を保全することを目的にして、自然に関する啓発活動を行う予定だ。山林の自然散策ガイド、子ども向け自然ガイドのワークショップ、山林の清掃活動、サシバの観察会等を計画している。人間のエネルギーを高めてくれる貴重な自然を守ることは、世界の幸せのために不可欠だと私は考えている。

研修に参加して私が成長したと思う点がある。それは「世界の幸せとは何だろう。そしてそのために私ができることはなんだろう。」と考えるようになったこと。また私達が地域の人や自然環境のために行う活動が、実は自分自身を幸せにするのではないか、と気付いたこと。自分にエールを送り、仲間と共に活動を続けたい。


具志川高校2年知念理央の心を掴んだ「おきなわ国際協力人材育成事業」

投稿者: oicYOUTHs 管理者

OICユースに参加して、私たちが伝えたいこと・できること」

 

沖縄県立具志川高等学校 2年知念理央

 

  私が沖縄県の主催する国際協力レポーター事業に参加しようと思ったのはとても些細な事から始まった。ある日の放課後、私は様々な留学プログラムの要項がはりだされている廊下の掲示板を見に行った。その時、ひときわ私の心を掴んで離さないものがあった。それが、今回私が参加した国際協力レポーター事業の留学プログラムだった。通常の留学プログラムであればアメリカやイギリスなど英語圏の国々へ語学留学をするというありふれた研修内容であり、これが一般的である。一方で、この国際協力レポーター事業は他とは違った。ラオスやインドネシア、ミャンマーなどの非英語圏・発展途上国の国々へ赴き、なおかつ国際協力や医療問題について学ぶという非日常的で異色を放っていたのだ。私はどの留学プログラムよりも心奪わた。

  この国際協力レポーター事業で私はミャンマーへ派遣される事になった。私たちは、ミャンマー派遣前に事前学習として沖縄県の職業訓練校へ視察したり、ODAや青年海外協力隊・国際協力についての講義を受けたりした。なかでも、現在、青年海外協力隊としてミャンマーの障害者職業訓練校でサポーターとして働いてる方とのスカイプ通話での講話はとても衝撃的だった。 

ミャンマーの障害者は、前世の行いが悪かった為その因果応報だという考え方、つまり輪廻転成と捉えられており偏見が後を絶たないそうだ。この話を聞いて心がとても痛かった。生まれる国が違うだけでこんなにも苦しくて、辛い生活を強いられているのだろうかと。

  ミャンマーでの11日間の派遣研修は医療問題・国際協力について学ぶことができ、とても充実した日々であった。私たちは初日に老人ホームを視察した。視察先の老人ホームは孤児も受け入れており述べ3700人もの人達が生活していた。老人ホームといっても日本の老人ホームとは程遠いものだった。建物には窓がなくてもどこも吹き抜け状態であった。また、狂犬病を発症している可能性のある野良犬がそこら中にいて、とても衛生面がいいとは言えない状態だった。また、5日目には日本がミャンマーに対して行った無償資金協力で造成したフェリーを視察しに行った。フェリー乗り場では大きな声で果物やお土産を売る人がたくさんいた。そこには、私たちに必死に物乞いをする少女もいたがこれ、私たちはなにもすることができなかった。心が張り裂けそうな思いでいっぱいだった。

私たちは、ミャンマーに滞在中に実に多くのことを学んだ。インターネットからは得られないことも沢山。ミャンマーの悪い面だけではなく、良い面も多く見てきた。ミャンマーの人の暖かさ、懐の広さ、自然の豊かさは、先進国のどの国にも負けない。

私は、今回の研修中に「私には、世界を変えることはできない」と思う事が度々あった。だが直接、ミャンマーの現状を目にして、行動を起こさずにはいられなかった。この留学プログラムに参加した16人の高校生でミャンマーに対するボランティア活動とミャンマーの現状を広めることを目的とした非公式LINEアカウントを開設し、各出身高校への募金箱設置を行った。

私はこの研修で気付いた事がある。それは、「私たちは微力だけど、無力じゃない」という事だ。確かに、私たち個人では義援金や支援金を送るという大掛かりなことは無理だろう。だが、お金だけが全てではない。私たちにだってできることがある。様々な方法がある中で私は「知る」事が一番重要だと考える。一人一人の考えが変われば、意識が変わり、いつしかそれは行動になるだろう。だから、私たちは率先して周りの皆に伝えたい。そして、周りの人々を巻き込んで、ミャンマーだけでなく世界中の人々に平和な日々をおくってほしい。絵空事だと思う人がいるかもしれない。発展途上国だから仕方がないと思う人がいるかもしれない。ぜひ、あなたの持っている固定概念を捨てて私の話を聞いてほしい。あなたにも、私にもできる事があるのだ。そして、「あなたも私も微力だけど、無力じゃない」ということをどうか忘れないでいて欲しい。

 

 

 

私にも出来る!美里高校2年川満萌がミャンマーで気付いた国際協力

投稿者: oicYOUTHs 管理者

「微力だけど無力じゃない」

 

沖縄県立美里高等学校 2年 川満 萌  

 

「私たちは微力だけど無力じゃない。」

この夏、この言葉の意味を強く感じることとなった。私は「おきなわ国際協力人材育成事業」でミャンマーに行った。この事業はホームビジットや様々な分野で活躍する日本人や団体のもとを訪れ、国際協力・貢献について高校生が考えるというプログラムである。

私がこのプログラムの参加を決めたのは、西表島という沖縄県の端にある離島出身だったからだ。西表島は自然豊かなものの、インフラなどにおいて不利な一面もあるように思う。そういった課題は開発途上国にも共通する部分があると考えた。そこで、現地に行き同じような悩みをもつ者として自分なりの考えを明確にしたいと思った。

実際にミャンマーでは、有意義な時間を過ごすことができた。なかでも、印象に残っている分野は教育と福祉だ。

教育の分野では、スポーツ体育研究所を訪れ青年海外協力隊でスポーツ隊員として活動する別府里奈さんの講話と里奈さんの指導を受けている生徒との交流があった。初めは言葉も通じない、どんな国から来た人たちなのかわからない私達に壁を作っていた。しかし、沖縄の伝統的な踊りの1つであるカチャーシーを一緒に踊ったのをきっかけに最初に感じた壁が嘘のように消え、ボディーランゲージで互いの想いを伝え合うことができた。また別府さんのお話で国際協力の考え方に大きな変化があった。私は今まで国際協力とは何か大きなことを一方的に行うというイメージを持っていた。しかし別府さんの話を聞くことで、街で外国人を見かけたら声を掛けるなど小さな事でも良いのだという事に気づかされた。仲良くなる事は互いの国について知るきっかけとなる。相手の国のことを知るという第一歩となるからだ。日本の諺に「情けは人の為ならず」という言葉がある。国際協力はこの言葉の意味に通ずるものがあるそうだ。人に親切にすることは、やがて自分に戻ってくる。実際に日本は東日本大震災の際に多くの国の支援を受けた。これは、今まで日本が多くの国を支援してきたからだ。

 福祉の分野では、AARジャパンの職業訓練校を訪問した。ミャンマーには障害のある方が全国民の約2〜3%いる。しかし福祉制度が整っておらず、障害がある方への支援が不十分というのが現状だ。そんななか、AARジャパンの職業訓練校は、学費無料や全寮制、9割以上の就労率を実現させるサポート体制、さらに在学中だけでなく卒業後まで手厚く支援している。そこの生徒達は一人ひとり夢や目標を持っていて何か力強いものを感じた。それと同時に周りに甘えて生活している自分自身が恥ずかしくなった。ディスカッションをしていく中で生徒達からヘアカタログやマットレスを新しくしたいなどという声を聞いた。それなら高校生の私達でも力になれると思い、どのような方法で協力していけば良いのか派遣メンバーで議論を重ねた。そこで、この学校のことを日本の方に知ってもらう為に公式アカウントを立ち上げることにした。SNS時代の今だからこそSNSを活用し高校生の立場から思ったこと、感じたことを発信していくことにした。実際に生徒達とディスカッションした私達にしか伝えられないことがあるからだ。それを多くの方に知ってもらう事が今の私たちにできる最大限のことなのだ。大きな国際協力はできない。しかし、相手の事を知り伝えることは私にも出来る。そんな小さなことでも国際協力になり、誰かの幸せに繋がっているのだ。だからこそ微力かもしれないが小さなことから始めていきたい。私達は微力だけど無力ではないのだから。

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